私は、昭和42年に新潟大学医学進学課程に入学した。
その同期の仲間のほとんどは、
昭和48年に卒業し、医師として社会的に活躍している。
唯一私だけが、どこで医師への路を踏み外したか、
弁護士として皆さんと異なる路を歩むことになった。
卒業40周年となる今年は、10月19日、61名が出席し、
新潟市内の「鍋茶屋」で同窓会が開催された。
学生時代、医学部自治会の執行委員に立候補し、
医学進学課程に在籍し未成年だった昭和43年6月15日、反戦デモに参加し、
規制の警官隊ともみあい3名ほどが公務執行妨害で逮捕され新潟中央署に留置された。
その晩、多くの新潟大学生が警察署の回りに集まり、
不当逮捕だとの抗議運動が続けられた。
留置場でまでシュプレヒコールが届き、夜遅くまで続いた。
10年ほど前、新潟で知人の結婚式があり、ホテルオークラ新潟に宿泊したことがある。
ホテルオークラは信濃川にかかる万代橋のたもとにある。
そのベッドに身を横たえながら、同じ場所に昔、泊まったことを思い出していた。
そう。ホテルオークラは、中央署が移転した跡地にできたホテルだったのです。
その両方に泊まったことのある人はそうはいないだろうなんて思いながら。
挨拶では、そんな昔話を交えながら、医者の中にただ1人の弁護士として、
いつでもみんなの力になることをお話させていただいた。
私も、家族のことや友人のことなどで、この仲間の医師たちにお世話になっている。
そしてまた今回も、いろいろ見えないところで、
それぞれの人間模様が重なりあっている発見もあった。
本当にありがたい仲間たちである。