2014年08月09日

壮一帆

雪組公演「前田慶次」

偶然の不幸な境遇にもかかわらず、時代におもねることなく、
豊臣の権力に対しても、自らの生き様と美意識を大切にして譲ることなく生き抜いた前田慶次。

多くの民衆は権力と言うものに対して本能的に前田慶次のもつ生き様に共感する。
まして時の権力の意思が民衆の意思から離れれば離れるほど、
慶次のようなものの生き方に喝采を送る。

壮一帆。決して順風ではなかった宝塚人生。
しかし今、トップに上り詰め、巡ってきた今回のステージ。
これほど見事な宝塚男役の在り方はあろうか。

愛馬松風に跨がり、
咲妃みゆ扮する捨丸(これが原作では男だが女忍者にすることでこの役が生きている)をしたがえ、
天下無双の長槍を脇に、紅の胴着、マントのような黒い衣装をなびかせる。
絵に描いたような武者ぶりに、壮のファンもう何も言うことはなかろう。
ショーの阿木燿子と宇崎竜童の手による
壮を送るために作られた音楽も見送りの舞台に花を添える。

壮も、このようないい舞台と作品に恵まれて、
おそらく「もはや何も言うことはござらん。」の心境ではないかと推察する。

さてさて、拙者は越後人で大の直江兼続のファン。
隆慶一郎の原作では、直江兼続がもっと頻繁に登場する。
私は直江の「愛民」思想が大好きである。
隆の原作では、会津に移封された上杉家が東北地方の一揆を押さえるために
百姓の子供を人質にとりそれを忍びの集団がさらに横取りしていく場面が描かれている。
おそらく史実に基づかない創作にしてもて、
直江のイメージのためには決してあってはならない場面であると私には合点がいかないのであるが、
それはともかく、典型的な組織人である直江兼続が、
一方でこのような個性豊かでかつ権力におもねることのない
前田慶次のような武人と友情で結ばれていたことを
もう少し登場させていただければ直江ファンとしてももう少しありがたさがましたかなと思う。
戦国の世にあっても直江も慶次も漢籍や史詩に造詣が深い文化を理解する人であり、
お互いのその奥深い人格が友情の基礎にあると言うことも描いてほしかったと思うのである。
もちろん秀吉との対面を起点としたやりとりや、
後半で長谷堂の戦いと思われる上杉軍の敗退のしんがりを直江の部隊が務めたところの場面など
それなりに登場するのだが。

ところでこう書いたもののこれは作者に対して難しい注文である。
むしろ歴史にあまり馴染みのない方には、
やや話が複雑でもう少しわかりやすくした方がいいのではないか。
例えば、最初に、まつと慶次の幼年時代を簡単に描き、
戦国の世を背景に天下布武を掲げる織田信長が登場し、
前田家の跡取りを慶次の父ではなく前田利家に否応なく指名する。
戦国の世に不向きの文化人の父と放浪の旅に出る2人を、
幼馴染みのまつが見送る。というようなはじまりだ。
もちろん回想シーンで時間軸にこだわらない展開も一つの手法であり、
原作は、松風と慶次の出会いからはじまっている。
だが宝塚のステージは松風より遙かにまつの重みが大きいのであるから、
何も最初の場面で松風にこだわらなくてもと言う感じがする。
原作では、ヒロイン候補がもう1人いる。朝鮮半島から連れ帰った姫である。
これでは宝塚の舞台にならぬ、とあえてまつのみを取り上げてヒロインに仕立てるなら、
最初の導入部からそのために徹底するのも一案ではないかと。

ちょっとぐたぐたと書いてしまったが、これは決して作品の批判ではない。
再演の時に参考にでもと思う程度のことであり、
直江の部分は個人の思い入れに過ぎず、取るに足るものでもない。
また、再演と言ってもこれは壮のための作品で、
ほかの配役でやらぬ方がいいのかも・・・、という気持ちもある。
千秋楽まで頑張ってください。

最後に、ところで、あの松風の中には、誰が入っていたのかな、と今でも気になっています。

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