2017年10月08日

若狭の旅

10月6日に日弁連人権擁護大会が、滋賀県大津市で開催されました。
人権大会の詳細は、日弁連の公刊物に譲るとして、
私は翌日からの2015年の日弁連執行部のみなさんとの
小浜~宮津~舞鶴の懇親の旅を記します。

正副会長会と理事会、地方の弁護士連合会への出張、
その他の行事への参加など、一年間一緒に会務をすると、
”All for One” “One for All” で結ばれます。
そして、毎年日弁連の行事のあと、懇親旅行を行うことが恒例となります。

今回は、同年の第二東京弁護士会の三宅弘会長が企画を担当しました。
彼は、福井県小浜市出身で、
郷土に誇りを持つ郷土史家でもあり関連する書物も出版しています。
また日弁連の活動については、情報問題のエキスパートで、
政府の情報管理が問題となっている昨今、
TVにも出演しわかりやすいコメントが好評です。

こんな彼の企画は、郷土愛に溢れたもので常に熱情がこもった解説付きでした。
初日は、鯖街道の熊川番所から、明通寺、三方五湖などの観光を満喫しました。

明通寺は、坂上田村麻呂が建立したと伝えられる寺ですが、
今年は宝塚歌劇でも、坂上田村麻呂の東北制圧に抗した
阿弓流為(アテルイ)を主人公とした作品が上演されました。
民衆が単純に征服を祝い、都に引き立てられたアテルイが処刑される中で、
朝廷にアテルイの助命の嘆願をし、
敵ながらあっぱれとアテルイに対する敬意と
友情を感じてやまない田村麻呂の舞台での姿も重なって、
公にはできないアイヌ民族に対する鎮魂の意味も
込められているのではないかと想像しながら感慨深く拝観しました。
鯖街道 熊川宿の番所

三方五湖

その一方で、食事の合間に歴史に詳しい仲間の歴史談義もありました。
福井県敦賀市が水戸藩士を中心とする天狗党の終焉の地であること、
そしてその最後は、総大将武田耕雲斉や、藤田東湖をはじめ、
尊皇攘夷を貫いた352人が死罪になったこと、
他にも多数の遠流など、幕府の処断は極めて厳しいものであったこと等です。
このような大量の処罰にも係わらず、
安政の大獄や、桜田門外の変などに比して、
天狗等の事件があまり詳しく語られることがないのは、
政権幕府側から見た史観があるのかも知れません。
しかし幕府もその後まもなく倒れ、
思想的に歴史の一時代をリードした水戸藩士も、
天狗党と書生党で分裂して多くの血を流し、
幕府とともに歴史から消えてしまった事実には学ぶことが多いと思います。

さて、そんなお話はさておき、
夜は、日本三景、天橋立が見える由緒ある旅館、
宮津市の小高い丘の上に佇む玄妙庵での宴会となりました。
天の橋立

翌日は、天橋立から舞鶴の引揚記念館を見学しました。
第二次大戦の終戦時、ロシア、満州、中国、フィリピン、
東南アジアなどの外地にいた660万人の日本人が、内地に引き上げました。
当時の日本の総人口は7200万人ですから11人に一人の割合です。
まさに民族大移動の状況であったはずです。
舞鶴港は、そのうちのロシア、満州などからの引揚者の受け入れ港で
60万人が帰還しました。
戦後・平成育ちのみなさんにはだんだんと遠い歴史になりますが、
そんな方たちの祖父母世代の約10人に一人は引き揚げ者だったという
そんな歴史の一コマも忘れてはいけないという意義深い見学でした。
みなさんも機会があれば是非訪ねてみてください。
今の軍港舞鶴港

そんな二日間の旅を終え、
ゆったりした気持ちで米原から新幹線の車中の人となりました。 

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